「長岡花火を見る会」報告そのA・・・顛末編    むつごろう 記
8月2日昼、長岡の街は大手通から日赤町にかけて、デイズニーランドのミッキーマウス一行のパレードで盛り上がって、沿道には人の渦が巻いていた。 長岡まつりの今日、いよいよE36メンバーズの「長岡花火を見る会」である。

 1時前に石黒亭に到着、声を掛けると野太い声が返ってきた。吾一君である。
元気印の塊のような吾一君との挨拶の後、準備して来たもろもろを運び込んだ。間もなくして新井君が美人の細君と共に現れて、暫くの間新井夫妻を囲んで大いに話が盛り上がったのである。やがて、のぶさんが高級車で現れ、入沢君も汗を拭きふき到着して石黒亭は更に賑やかになった。

 2時少し前、石黒団長を先頭に河原の花火席設営隊が出発した。前もって石黒君に腹積もりがあって、何度か下見をした場所があったので会場の解放時刻を待って最適の観覧場所を設営することが出来た。このとき吾一君の風貌も大いに役立ったとはその後の酒宴余話である。
 コミュニテイの仕事が終わればまずは上がり酒が相場だからと、早速ビールの試飲会が始まる、冷え具合・旨さ具合を体を張って(?)確かめたのであった。

 暫くして数人の声がして、玄関には牛の角突きを見た帰りの阪西君たちがやってきた。その後、三々五々メンバーが揃ったが肝心の廣井君がまだ来ない。
羽田の停電でNaritaまで行って引き返したこともあって到着が遅れた。その後長岡駅でタクシーを拾ったらしいが、運ちゃんの耳が悪かったのか、迷路に入ってしまった。こんなときに携帯は便利だ。私がどたばたしている間にSOSが二度ほど入って来た。早速救援隊の松本君が探し出し無事合流したのである。
 その間に、勝沼君達が暑い中を酒肴の買出しに行ってくれ準備万端が整った。

 予定の6時になって、全員揃って花火会場へ移動。もう会場は足の踏み場もない人の込みようであったが、設営隊の努力のお陰でベストポイントが確保されていた。ブルーシートで広々と設営したが余裕の部分は近くの若いカップルなどに提供して喜ばれた。花火はまだ上がらないが、酒宴が始まった。既にかなりの呼び水も入っており、楽しく歓談しながらの至福のひと時であった。
 やがて正面の河川敷に敷設された花火筒から轟音とともに火柱が上がり夜空に大輪の花火が炸裂した。たぶん尺玉だろう。それを合図に右手の大手大橋に一斉に火が走った、800mのナイヤガラの開始である。火薬の燃える臭いと共に河原から歓声が湧き上がる、「わー!」と言う歓声と「バチバチ」とナイヤガラの花火がはじける音がミキシングされて臨場感を盛り上げる。

長岡花火の本番開始だ。

 長岡花火の上がり方は二重奏だ。大型花火は一日約45組、そのほかに数え切れないほどの単発や早打ちがある。大型花火は打上げ時刻が決まっていて、
ダイヤグラムどおりに打ち上がる。その他の花火は終了時刻までに淡々と打上げられる。  その中で長岡人の自慢は三尺玉だ。8時半には長生橋にナイヤガラの火の滝が始まり、その最盛期に三尺玉が上がった。三尺玉は直径三尺、つまり約1mである。
上空600mで炸裂し、直径600mに開花する。大輪に開いた花弁は自重と共にゆっくりとしだれて長生橋に触れんばかりに垂れ下がる。しだれが橋に近づくと大きな 歓声とも感銘のため息ともつかぬ声が信濃川原をいっぱいに包み込む。
 もう一つの自慢は尺玉99連発である。市制80周年から始まって、毎年1発ずつ増えてゆく。尺玉といえば大方の有名花火大会ではメインデッシュの花火であるが、この花火が3,4箇所の筒場から1秒間に1発の速さでワイドに上がる。
観客もはじめのうちは尺玉の数を数えているがいつの間にか分からなくなり、気がつくと火花の競演に酔いしれてしまっているのである。

 昨年の10月、長岡市周辺は中越大震災に被災した。7月の豪雨被害も含めてまつりの開催を疑問視する意見も周辺にはあったのだが、長岡は長岡祭りをやった。
戊辰戦役で長岡は二度焼け野原になり、先の戦争では県内唯一空爆を受けた街である。このとき市街地は壊滅的な破壊を受けた。しかし、長岡人の遺伝子には「このようなときにこそ」と言う暗黙の意識があり、長岡祭りが生まれた。こんなことから長岡市の市章は「長」と言う漢字を鳥[フエニックス]にデザイン化してある。
 閑話休題、今年の花火の目玉は市民花火の「フエニックス」である。市民からの
協賛金を主体に二日間二組の花火に3千万円が投じられると言う。番組の最後、アナウンスに引かれて打上げ場の方に全員注目が集まったその時、一斉にスターマインが始まった。その打上げ場所がどんどん右に左に広がって、長生橋から
大手大橋を超えて更に下流までに達した。数分もの間約1.5kmと言う長いベルト状のワイドスターマインが完成した。そして合併6市町村になぞらえて6羽の不死鳥を象った花火が上がったのである。見る者全てが我を忘れてこの花火に見とれたのであった。正にギネスに挑戦である。

 さあ帰ろうぜ。E36メンバーは和気あいあいと周辺を片付けて、ほろ酔いも手伝って 器用に千鳥によろけながら石黒亭に戻ったのであった。
 そこでは花火の話、熟年登山の話、学校時代の話いろんな話が飛び交い、夜の更けるのも忘れさせるほどであった。遠来の廣井君は懐かしそうに話し込み、寝たのは多分夜も白んだ頃ではなかったかと思う。

 還暦も過ぎて、それぞれ自由な時間を得たがまだまだ体力も充分。現役の頃のイナーシャも残っていて鼻息も立派なもの。石黒亭の提供を頂いて、ここに40年来の ムカシが咲いたのであった。2年ごとに保科君が同級会を開いてくれている。
 その狭間にこのような花火会を開催できたことはラッキーだった。多くの友は会費よりも交通費の方が余程大きかっただろうに、幹事の小生としては集まった皆の顔を見て、開催した甲斐が あったとホッと胸をなでおろしたのであった。
 この話が始まって実質2ヶ月間と言うもの、いろんな計画を巡らせて地元の人達と意見交換して過ごしてきた。花火に集まった皆も楽しい二日間だったと思うが、実は準備を通じて「長岡花火を見る会」を一番長く、そして一番深く楽しんだのは他ならぬ 小生自身であったのだろうと、今密かに喜びを味わっているのであった。
  「E36メンバーズに栄あれ!」        おわり       
長岡大花火大会のお礼                       櫻井 明
今回席を設けて頂いた石黒さん、牛の角突きの切符の手配をして頂いた高山さんを始め万端の準備をして頂いた地元の幹事の皆さん本当に有難うございました。
 おかげさまで楽しい2日間を過ごさす事が出来ました。お礼を申し上げます。詳細な報告は主催者から出ると思いますが遠く熊本から参加された廣井さんご苦労様でした。
15名も集まりミニ同級会ののようでした。花火の後も話題は尽きず私は1時にはダウンしましたが若干名が3時過ぎまで歓談を続けたとか。
山古志の角突きももの凄い迫力で感激しました。事前の高山さんのアドバイスでどちらも傑作が沢山撮れました。角突きは次回にまわし、今回花火の傑作(本人の思い込みですが)を添付します。
36ネットの皆様                               勝沼正敬
 今年の大きなイベント、「長岡の花火を見る会」が大盛況のうちに終わりました。 幹事長の高山さんはじめ幹事の皆さん、宿をご提供いただいた石黒さん、どうもありがとうございました。
 そして、ご参加の皆さん、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございます。長岡の花火の勇名は聞いていましたが、想像していたよりもはるかにすばらしい迫力と規模でした。

 会場の石黒亭に着いたとたんから酔っ払いながら、また翌朝は酒を飲まずに話して、次回の同級会の骨格が決まりました。来年のことですから、来年に入って大幹事長保科さんから連絡が届くと思います。本当に楽しい会です。まだ出たことの無い人も、しばらく休んでいた人も、是非出てきてください。
 飲み疲れと寝不足で、疲れました。皆さんへのお礼と、次回のお誘いを申し上げたのみで、今日は失礼いたします。
石黒さんの無賃宿に感謝。      廣井 均
高山さんの企画に感謝。
準備してくださった方々とE36に感謝。

長岡花火と参加者の笑顔が期待通り美しく。
日常の憂さを忘れ心行くまで桃源郷に居たが。
一夜明ければ浮世の暑さに耐えかねた。

旅の車窓からは地震爪痕痛々しい故郷の山々。
信濃川、魚野川沿いの荒廃地が見えた。
堀之内の墓は、背中に転倒した傷跡があった。

80年前の長岡空襲惨状とは比較にならぬが。
災害は何時襲ってくるか判らない。
しかし復興する逞しさ。

一喜一憂するのが定め。
喜べる時、喜ばないと辛さに耐えられない。
喜びも悲しみも分かち合えるE36に感謝。
長岡大花火大会のお礼       市原 阪西
 高山さん、石黒さんそして地元の皆さんに感謝申し上げます。 素晴らしい会でした。本当に有難う御座いました。 牛の角突きと三尺玉そして楽しい歓談、尽きることないお酒と本当に楽しい二日間でした。
 写真の方も高山さんの指導のもと、多分傑作が取れているものと期待しています。
 簡単ですが、先ずは御礼を申しあげ、傑作は又別途発表とします。益々暑くなってきました。くれぐれも体調損なわず元気にいきましょう。では又のお楽しみを期待して。  
新たな歴史の一n            保科 赳
石黒さんの長岡の別宅には大変、世話になりました。いつでも生活できるようになっているのには驚きました。
また、高山さんの準備万端の技にも惚れ惚れいたしましたし、ご協力を惜しまなかった長岡の皆様にも感謝いたしております。
 いまなお心に残っていますことは、絢爛豪華な大花火はもちろんですが、「花火よりお酒」をモットーに遠くから駆けつけてくださった方々の心意気であります。

 帰りの上越線では、堀之内の阪西さんと廣井さんと一緒でした。車窓に田園風景が広がるにつれて、40数年前に想いを巡らせていたのは私だけでなかったのではないでしょうか。

 高山さん、石黒さん、長岡をはじめとする幹事の皆さん、この度は、お世話になりました。ありがとうございました。
E36の皆さんへ          横須賀市 川村 吾一
今般は掲題の大会に参加させて戴き有難うご座いました。大変遅くなり恐縮ですが厚く御礼申し上げます。
長岡地元幹事団の高山・幹事長を筆頭に石黒亭・家主、結城、小林、松本 各幹事殿各位には企画、立案、そして行き届いた実行とご配慮を賜りました。

「血の通ったE36参加有志」で旧交を温める事が出来、かつ素晴らしい『日本一の長岡花火』を懐かしの我らが校歌にもある「越しの広野をこころままに流れ流れる信濃川・・・」で参加15名のサムライ?達が共に鑑賞出来た感激は良き思い出の1ページであり重ねて感謝致します。

熊本から廣井、名古屋から大平各氏 日本は本当に狭いのか? 交通の便が良くなったのか?距離をものともせず、暑さにも打ち勝つて馳せ参じて貰い幹事団、他の参加有志共々再会を喜びました。

一番の参加ポイントは離れている距離や暑さに勝ったではなく「自身の強い意志」でE36有志に再会する事の喜び、意義を無意識の内に感じたものと勝手に解釈しています。自分自身もそうでしたから・・・

参加皆さんの感謝便りメール並びにプロ写真家顔負けの「映像・写真の力作」を送信賜った(幹事長でもある→)高山、  (E36行事の最後はいつも万歳で締めて貰う明朗闊達の→)阪西、(E36ホームページ生みの親→)梶山、  (世界のキリマンジェロ踏破で登山
家?兼務の→)櫻井の各氏にその作品の見事さには喝采を惜しみません。

我が家族にも「自分の作品でもないのに」自慢して見せたところ「素晴らしい」との評価で持つものはE36の友であり御礼又御礼。

ご承知の通り長岡花火の期間は長岡近郊のホテル、宿は例年予約で満席です。石黒亭にお世話になれた事でE36今年の「メーン行事の一つ・長岡花火」が挙行出来た事は周知の事実です。有難う御座いました。
長工在校時、強打の4番打者・石黒は今なお健在で安心!!。これからも交誼の程宜しくお願いします。

参加のお土産は「幻の銘酒、越しの寒梅・・・なかなか手に入らない」を長工同期水泳部OBのよしみ?で小林伸夫氏からのものでした。
小生が8月2日一番早く石黒亭に入亭した事もあり、高山幹事長、石黒亭長幹事、小林伸夫幹事のご配慮で川村が戴きました。皆様に内緒のお詫びとここで顛末のご報告併せてご高配に感謝致します。

私事で恐縮ですが息子の新築祝いが8月23日に予定していますので祝い酒にさせて戴きます。

これから来年の同級会骨子を今回参加有志が石黒亭で纏めさせて戴きました。本件は「E36ネット生みの親・勝沼氏」の便りにも既にありましたように地元保科氏・大幹事長のもと地元幹事団を結成して貰いE36皆様の賛同戴きながら一人でも多く参画での再会を誓いました。

皆々様のご自愛、ご健勝を祈念致します。

感謝・感激メール