<スケジュール> 5/18日(土) ・17:00集合 ・17:50記念写真撮影 ・18:00乾杯〜宴会 ・21:00〜 2次会 5/19日(日) ・9:00ホテルスタート ・10:30 原発見学S ・11:40:見学終了 ・12:30小千谷・昼食 ・15:30湯沢・解散 |
2002年5月18日(土)、越後湯沢の旅館で還暦記念の同級会が、26名の出席者を得て開かれました。きっかけは、その日からちょうど7ヶ月前の2001年10月17日、同級生8人で苗場山に登った後の宴会の席でした。来年は皆還暦になるが、是非、記念の同級会を開いて集まろうと誰かが提案し、全員賛成。日取りまで決めて、会場選定・連絡などは苗場山行の世話をしてくれた保科君にお願いして幹事長になってもらったのでした。 本題からは少し外れますが、このときの苗場山行は還暦を来年に控えた我々にはぴったりのものでした。土曜日の昼前に集合、昼食に旨い“へぎ蕎麦”を食べ、切明の河原の温泉に入り、温泉旅館でまず宴会。翌日はスローペースで登山、山頂に着いて握り飯に手作り味噌汁で昼食をとり、スローペースで下山して温泉とビールと酒とでまた宴会。こんな山行なら、何度でも行きたいと思ったものです。そもそも、この集まりも、発案は誰だったのか、同級生で作っているeメールの会で流れてきたものでした。 E36ネットと勝手に名付けているこの会は、手紙では時間がかかる、電話では相手の時間帯を気にしなければならなりませんが、eメールなら自分の都合の良いときに書いて送り、都合の良いときに受けて読めばよいのですから、アドレスを持っている人は私に教えてくださいと葉書を出して始まったものです。最初に連絡をくれた11人から、今回の同級会出席者名簿には22名のアドレスが記入されています。同級会の場でも勧誘しましたから、近いうちに確実に増えるはずです。簡単な近況報告を皆でしあうことが出来るように、もっと仲間が増えるよう、声をかけようと思っています。 さて、本題に入らなければなりません。卒業して41年、人間として、容姿も心の内も大きく変わっているのでしょうが、会って話せば40年前と何も変わっていないように思えるのも、同級生の良いところなのでしょう。40年ぶりに会った仲間も、ちゃんと俤も思い出も残していて、話は弾むのでした。宴会場から部屋に帰っても皆が一室に集まって、夜遅くまで話し込んでおりました。 こうして皆に会うことの他に、もう一つあるおまけの楽しみが見学会です。これも幹事諸君に感謝しなければならないことなのですが、前回の東京電力・玉原(揚水式)発電所、今回の刈羽原子力発電所を非常に興味深く見てきました。卒業後、10年余で電気の職場を離れ、技術誌とは言いながら月刊誌作りになった小生としては、自分の原点に戻ったような懐かしい気分に浸れるひと時ではあります。 会社から観光バスで送迎されたから、サービスホールの館長さんが丁寧に案内してくれて質問にも答えてくれたから、で言うのではありませんが、あれほど立派に設備されていれば致命的な事故はまず起きないでしょうし、電力需給のためにももしかしたら必要な施設なのだから、これから新しく造ることが良いか悪いかは別にして、今そこで働く人たちのためにも、小さな事故も起きませんようにと祈りつつ、見学を終えたのでした。 前回、平成9年の同級会の1年程のちに、田中久大君が亡くなりました。幹事の同級会開会の挨拶ののち、全員で彼の冥福とこの仲間の健康を祈る献杯から始まったのですが、帰ってきてから考えました。これから何回会う機会が持てるか判りませんが、亡くなった人はいたしかたありませんが、何とか同級生全員が集まりたい、昔の話がしたいというのが我々の望みであり、祈っていることです。特に我がクラスには、長岡工業高等学校最初の女生徒である外山(現・平沢)由史枝さんがおられます。彼女も含めて、卒業以来一度も会ってない人が何人かいます。次回はきっと出席してくださいと、ここで呼びかけます。 そんな訳で、ワールドカップ並に4年毎のペースで会うことにしていたのですが、これからは2年毎にしようと、次の再会を約して別れたのでした。 (勝沼 正敬 記) |